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高橋信次先生に学ぶ

高橋信次先生に学ぶ

神とは何であるか

- 神とは何であるか -


このことは、「人間とは何であるか」という事と同じように、正しく信仰しようという人が、一番最初に解明しなくてはならない事なのに、この二つの事が、あやふやなままで信仰している事に日本人の信仰の欠陥があるのであります。

これでは基礎工事をしっかりせずに建物を建てるようなものでありますから、そのような信仰はいつもどこか、不安定な心があることになるのであります。


信仰しようとする人が「神とは何であるか」という事を十分に知ろうとしなかったという事は、仕方のなかった事として許せる事としても、一番不可解な事は、教祖自身またそれに続く宗教指導者達が、「神とは何ぞや」と言う事をなおざりにしたまま信仰を説いているところに、最大の罪があると思うのであります。

キリスト教は一神論で、神とは宇宙創造の神のみであるとハッキリしておりますが、仏教は無神論、無霊魂論の立場をとっております。
神道は、宇宙創造の神を説くと同時に八百万神といって、色々沢山の神様の名前が出てきます。
山の神、水の神、土地の神、草木の神、雲の神、また神社の神等々。

新興宗教、民間信仰に至っては、これまた沢山の神々の名が出てきます。
最近は一つの新興宗教の教祖が亡くなると、皆神の名前を付けるのが流行の様です。


本来、神でないものを神として信ずる事は、信じているその人はそれで正しいと思っていても、ただ正しく信仰していると自己満足、自己陶酔しているだけの事であって、それはやはり根本的には正しくないのであります。

それは丁度、ニセモノの絵をつかまされて、ホンモノだと思っている事と同じ事です。

ニセモノの絵などをつかませる人は、詐欺罪という事になるのに、宗教の世界においては、ニセモノの絵をつかませて、それで尚、ありがたがられているのですから不思議なものです。

日常の世界では、後でニセモノだと分かったら、返品するなり弁償しろという事になって問題になることなのでありますが、宗教の世界では、ニセモノの神をつかませた人は平気でいて、つかまされた信者だけがいつも被害者として、泣き寝入りしているという状態であります。

何か一つモノを買うという時でも、色々吟味する人が、いざ信仰ということになると、「よく効く神様だ」と言われて、何の吟味もせずにし飛びつくという事もおかしい事で、その点、日本人ほど信仰について無関心、無節操な民族もいないと思うのでありますが、また一面において、そうであったからこそヨーロッパにおけるような、残酷な宗教戦争がなかったのだともいえます。

また、そうであるだけに「本当の神とは何であるか」ということが分かれば、またそう大して混乱なく、正しい信仰にかえる事が出来るという事になります。


神と人間については、昔から難しく考えてきました。

神の問題に関しては、洋の東西を問わず色々宗教議論が交わされてきましたが、科学が高度に発達してきた今日においては、容易にその解明が出来る様になりました。



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